働く女性の50年史(16)

1984(昭和59

国籍法改正。「父系優先」から「父母両系主義」へ

日本国籍の女性から生まれた子どもは、当然日本国籍を持つ」――おそらく誰もがそう思うことでしょう。しかし、35年前まではそうではなかったのです。生まれてくる子供が日本国籍を取得するためには「日本国籍の父を持つこと」が必須条件であり、母親は我が子に日本国籍を継承させることはできませんでした。これを「父系優先血統主義」といいます。このような性差別的な法律がまかり通っていた背景には、「二重国籍を防ぐ」という表向きの理由もありましたが、実際には「外国人と結婚した日本人女性は相手方男性の国籍になるもの」という旧来の結婚観が根底にあったと考えるべきでしょう。

 「父系優先血統主義」の下では、日本籍の男性と外国籍の女性の間に生まれた子どもは自動的に日本国籍が得られますが、日本籍の女性と外国籍の男性の間に生まれた子どもは日本国籍が得られません。そうなると、たとえば日本国内で、日本人の女性と米国人男性の間に子どもが生まれた場合、その子は、母の日本国籍を受け継ぐことはできず、かといって「出生地主義」を取る米国の国籍を得ることもできない「無国籍児」になってしまうのです。

 そこで、「無国籍児」となった子どもと親たちは、「父系優先血統主義の国籍法は憲法違反」だとして訴訟を起こしました。しかし、81年3月の時点では東京地裁は「父系優先血統主義の国籍法は、性差別だが帰化で補完できる」として合憲判決を下し、82年6月に東京高裁でも、日本人母子が父系優先の国籍法は違憲であることと日本国籍を要求する訴訟に否定の判決が下されました。しかし、これらの判決に対しては、一般市民から疑問の声が高まると共に「父系優先血統主義」が国連の「女子差別撤廃条約」に違反するという指摘もなされ、この年、ついに出生時に父母のいずれかが日本国民であれば日本国籍を取得できる「父母両系血統主義」が実現したのです。

 

この年のできごと★

三浦朱門文化庁長官「強姦容認発言」で抗議相次ぐ:当時文化庁長官を務めていた作家の三浦朱門が雑誌『シティランニング』で「女性を強姦する体力がないのは男として恥ずべきことだ」と発言し、多くの人々のひんしゅくを買った。三浦長官は翌年も、女性誌で「貞操観念のない女性なら強姦してもかまわない」と発言し、女性団体から抗議が相次いだ。長官はこの発言から約一ヶ月後に正式に謝罪したが、本人の人間性や感性に対する批判はその後も続いた。

妊娠判定薬の市販が始まる:尿検査で妊娠を判定する「ノプレル」がユースキン製薬から発売された。産婦人科での妊娠確認以前の簡易検査として活用され、以後、同種の妊娠判定薬続々発売されるようになった。(文中敬称略)

 

 

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ごあいさつ

福沢恵子

「女性のキャリア形成支援」「男女共同参画」「大人の学びなおし」をメインテーマに取材や講演を手掛けて30年。仕事を通じて「誰もが自分らしく生きることができる社会」の実現に関われたらと思っています。 

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