1986年に施行された男女雇用機会均等法の改正法がこの年の6月に成立し、(施行は1999年4月1日)、法律としての実効性が大きく前進しました。主な改正点は以下の点です。
(1)女性に対する差別の「努力義務規定」が「禁止規定」に
(2)ポジティブ・アクション、セクシュアルハラスメント関連の規定の創設
(3)母性健康管理措置の義務規定化(施行は1998年4月1日)
この改正法では、募集・採用、配置・昇進、教育訓練、福利厚生、定年・退職・解雇において、男女差をつけることが全面的に禁止されました。1986年に施行された均等法では、経済界からの強烈な反発もあり、募集・採用、配置・昇進については努力目標とするにとどまっていたものが、この改正で罰則を伴う禁止規定となったのです。これ以後、基本的に男性のみ、女性のみの求人募集は法律違反となりますが、特例として、その企業が過去に男性を優先的に採用していた実績があるために男女間の従業員数や雇用管理に差が生じている場合は女性を優先的に雇用する「ポジティブ・アクション」によりその差を解消することは違法ではないと規定されました。
また、改正法により、職種をできるだけ性別的には中立に表現する形で募集を行うことが進められました。「保母」が「保育士」に、「看護婦」が「看護師」に変更されたのもこの年以降のことです。
さらに、この年に行われた労働基準法の改正に伴い、女性に対する深夜労働・残業や休日労働の制限が撤廃されました。これによりそれまでは実際には残業をしても「本来深夜労働をするはずがない」ということで残業代が請求できなかった事務職の女性たちにきちんと残業代が支払われるようになったり、保護を口実とした女性の排除が難しくなったりというプラス面もあったのですが、他方で深夜や長時間の労働で子育てや介護と仕事の両立の困難に直面したり、激しい労働により健康を害する女性も数多く見られるようになりました。
ところで、この改正法にもひとつ大きな問題点がありました。というのも、そもそも男女雇用機会均等法は「女性に対する差別をなくす」という目的で制定された法律なので、もし「男性であることを理由とする差別」があったとしてもこの法律では直接規制ができなかったのです。そのため、商社などの一般職、看護師、保育士などの職種で男性であることを理由に採用されなかった事例は救済できず、法律が男女両性に対する差別を禁止する内容となるためにはさらに2006年まで待たなくてはなりませんでした。
★この年の主なできごと★
ダイアナ元英皇太子妃がパリで事故死:8月31日未明、パリ市内のセーヌ川沿いの自動車道路のトンネルでダイアナ元妃の乗った車が交通事故を起こし、ダイアナ元妃は全身を強く打ち死亡した。車には彼女の新しい恋人と見られるエジプト系英国人の富豪も死亡した。事故の原因は、追いかけるパパラッチのオートバイを猛スピードで振り切ろうとしてトンネルの壁に激突したと伝えられている。
三洋証券、北海道拓殖銀行、山一証券……大型倒産相次ぐ:11月3日、三洋証券が会社更正法の適用を東京地検に申請した。負債総額は3736億円。11月17日には北海道拓殖銀行が巨額な不良債権を抱えて経営破綻し、営業権を北洋銀行に譲渡すると発表。さらに11月24日、山一証券が株式市場の低迷などで経営危機となり、自主的な廃業申請と営業の休止を決めた。また簿外債務が2648億円に上っていることが明かとなった。山一証券廃業の際、社長が涙ながらに「社員は悪くありません、悪いのは私です」とコメントした姿には「人間味があってよい」という意見と「トップのコメントではない」という賛否両論があった。
◆変更履歴:文中「看護士」は「看護師」に、4段落目「この年のこと」は「この年以降のこと」に変更しました(2017年9月29日)