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1991(平成3)年
育児休業法 男女とも取得できる法律に
日本に最初の「育児休業法」ができたのは実は1975年です。「義務教育諸学校等の女子教育職員及び医療施設、社会福祉施設等の看護婦、保母等の育児休業に関する法律」がそれ。公務員である女性教師や看護婦・保母が対象なので、全ての女性を対象としたものではありませんが、育児休業の申請があれば原則として許可しなければならないということを定めています。しかし、これはあくまでも「努力義務」ですから、実際に育児休業を取得できた女性は非常に限られたものでした。そして、それか16年を経て、全ての労働者を対象とした育児休業法が成立したのはこの年です。(施行は92年4月1日から)
この育児休業法では「男女とも子どもが1歳になるまでの育児休業が取得できる」ことが定められており、取得者を女性に限らないことが画期的といえます。しかし、当時は休業中の社会保険料負担などについては免除にならず、ごく初期に育児休業を取得した人は休業明けに1年分の社会保険料を請求されてびっくりしたという人もいました。(現在は休業中の社会保険料負担は免除されています)
このような法律が成立した背景には1989年の特殊合計出生率が1.57まで低下した「1.57ショック」があると云われていますが、育児支援の動きは70年代の後半からあったのです。
具体的にいえば、自民党では79年から、働く女性の育児支援の一環として「育児休業請求権」を付与しようという動きがありました。しかし、これは「子育て中の女性は育児に専念すべき」という考えからのもので、経営者側からも反発を受けて実現には至りませんでした。 一方野党も育児支援については社会党(当時)が82年、公明党が85年に育児休業法案を提出し、87年には4野党(社会、公明、民社、社民連:いずれも当時の名称)が共同で育児休業法案を提出しました。その後参議院社会労働委員会は89年に育児休業小委員会を設け、自民党の考えと野党法案の検討を行い、90年に法案の内容が固まりました。
この時期に参議院で育児休業の議論が進められたことの背景には、参議院で与野党逆転していたことに加え、与野党とも参議院に女性議員が多かったことが挙げられます。ということは・・・今の衆議院の状況もそれと似ていますね。今こそ「政治が動く」ということをはっきり見ることができる絶好のチャンスなのです。
男女雇用機会均等法施行以降も「職場に変化なし」:労働省(当時)の「女子雇用者管理基本調査・女子労働者実態調査」によれば、男女雇用機会均等法施行後も職場の状況は「変化なし」と答えた人が4割、また、「定年前退職慣行あり」が5割という結果だった。女性の定年差別は就業規則上は消滅しても実態としては残っていることが明らかに。
性別役割分業に否定的な意見は4割:総理府の「女性に関する世論調査」で、男女性別役割分業に否定的な男女は約4割、夫婦別姓選択制に賛成約3割だった。いずれも前回調査より増加傾向にあるが、若年層と高齢者層でかなり意識差があることも特徴的な結果に。
「女性のキャリア形成支援」「男女共同参画」「大人の学びなおし」をメインテーマに取材や講演を手掛けて30年。仕事を通じて「誰もが自分らしく生きることができる社会」の実現に関われたらと思っています。
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